出産は、奇跡です―――
コウノドリ先生もそんなようなこと、言ってたでしょ?(笑)
予定外だった私の出産体験から、思うことを書いてみようと思います。
出産方法に対して、心をざわつかせているあなたに、届くといいなと願いを込めて。
出産方法にとらわれて、心を傷めないで
「自然分娩が良いのかな?」
「無痛にしたら甘えだと思われる?」
「帝王切開になったら負けなのかな?」
出産を控えた時、そんな迷いや不安が心をよぎるのは、ごく自然なことです。
私自身、第一子の出産に向けて、自然分娩を予定していました。
陣痛を待ちながら、どこかで「きっと自然に産める」と信じていたんです。
初めての出産に、何かキラキラ、ワクワクしたものを感じながら。
けれど―――
現実は、私が思い描いていたものとは、全く違う展開になりました。
自然分娩を目指していた私に起きたこと
第一子の出産予定日を過ぎても、なかなか陣痛につながる痛みが来ませんでした。
焦りもありながら、「きっと自然に埋める」と、どこかで信じていました。
そんなある日の早朝に、突然激しい吐き気に襲われました。
不安になり病院を受診したところ、血圧が異常に高いことが判明。
胎児心拍も低下していることから、あれよあれよと緊急帝王切開へ。
手術後も容態は安定せず、子癇発作(けいれん)を起こして大学病院へ緊急搬送されました。
搬送先で告げられたのは「HELLP(ヘルプ)症候群」

※H(Hemolysis:血液の破壊)EL(Elevated enzymes:肝機能の異常上昇)LP(Low Platelet count:血小板の減少)症候群
妊娠高血圧症候群の重症バージョンで、肝臓や血液の働きに大きなダメージが出てしまうのが特徴です。
つまり、血液が壊れてしまったり、肝臓がうまく働かなくなったり、血が止まりにくくなったりする、非常に危険な状態なのです。
一刻も早く出産して、母体と赤ちゃんを守る必要があり、手遅れになると命の危険も。
医師からは「発見があと数時間遅れていたら、命は助からなかったかもしれません」と。
あの日、私は本当にギリギリのところで命を繋ぎ止めたといっても過言ではありません。
出産は命がけ―――
身を持って実感した瞬間でした。
今でも残っている、産後3日目の写真。
土色の顔をした、むくみでパンパンの、笑顔が苦しい私と、ちっちゃな娘のツーショット(笑)
今でも「やばいなコレ、生きててよかった・・・」と思います。
万が一、脳出血を起こして障がいが残っていたら
今のような当たり前の日常生活を送れていなかったかもしれません。
出産方法は命を守るための選択肢
思い描いていた出産方法で産むことは出来ませんでしたが
帝王切開は、娘と私の「命を守るための選択」だったのです。
(かっこいいこと言ってるようですが、現実はそれしか選択肢がなかった・・・)
出産方法は、どれが上で、どれが下、なんてものではありません。
赤ちゃんと、自分自身の命を守るための、大切な選択肢の一つ。
陣痛を乗り越えて産む人も、無痛分娩で体力を温存しながら産む人も
手術で命を守るために産む人も―――
全て「大切な命を迎えるための最善の選択」です。
もし、今まさにこのテーマで心がざわついている人がいるとしたら
どの出産方法であれ、あなたの選択が尊いのだということを忘れないで欲しいと思います。
周囲の人からの何気ない一言
ときには、こんな言葉が飛んでくることがあるかもしれません。
「あら、帝王切開だったのね」「無痛分娩はラクだった?」
「自然に産めたら一番だったのにね」
悪気なんてないとわかっていても、その一言でどれだけママが傷つくことでしょう。
日本固有の価値観
この国では昔から
「痛みや苦しみを乗り越えることにこそ、価値がある」
という考え方が、文化の中に根強くあります。
だからこそ
「自然分娩で痛みを耐えて産んだ人がすごい」
「無痛や帝王切開はどこか、ラクをしたみたい」
―――そんな空気を、無意識のうちにまとってしまう社会背景があるのかもしれません。

でもね、痛みを経たから尊いのではありません。
命を迎えたその事実だけで、すでに尊いと私は思うのです。
出産の過程をジャッジする権利など誰も持っていない。
日本人の“痛み=美徳”の価値観・・・厄介ですねぇ。
出産に正解も不正解もない
痛みを我慢したから偉いわけじゃない
自然に産んだからすごいわけでもない
無痛を選んだから誰かより「ラクをした」なんてことは絶対にない
それぞれが、自分と赤ちゃんを守るために
そのとき出来る最高の選択をしている、しただけ。
出産は「方法」で測られるものではありません。
どんな経過をたどったとしても、どんなに予定外の展開になったとしても
そこに命を守ろうとする「強い想い」があったなら、それは誇りに思っていいのだと思います。
まとめ:あなたが選んだ道が正解
出産はゴールではありません。
それは、長く続く育児の始まりの一歩。
あの瞬間、我が子を迎えるために、最善の策を取っただけ。
周りの声、外野に惑わされないでいいのです。
どんな方法だったとしても、あなたの選んだ道が正解であり
その正解は他の誰かが決めるものでは全くありません。

正直なところね、子どもが大きくなってからは
出産方法だったかなんて結構どうでも良くなることが多いからね(笑)
少なくとも私は、自分が瀕死の状態にあったことも忘れてました―――終わり。
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